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大阪高等裁判所 昭和45年(う)621号 判決 1972年1月31日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、大阪地方検察官杉島貞次郎作成の控訴趣意書に記載のとおり(ただし三三丁うら六行目から三五丁うら二行目までを除く)であり、これに対する弁護人らの答弁は、弁護人小林勤武、同前川信夫、同伊多波重義、同大川真郎、同力野博之連名作成の答弁書(その一)答弁書(その二)記載のとおりであるのでこれを引用し、これに対する当裁判所の見解は次のとおりである。

控訴趣意第二、ピケツテイングの正当性に関する法令解釈の誤りの控訴趣意について。(控訴趣意書第二)

論旨は、原判決は、被告人らの本件行為をストライキの実効確保のためのピケツテイングであるとみて、その手段方法は平和的説得の限度を超えた実力的行動であるとし、ピケツテイングの正当性の限界に関しては原則的に実力の行使を否定しつつも「いかなる場合にも一切の有形力の行使が許されないというような観念的、固定的な解釈によるべきでなく、すべからく争議の経過、状況及びピケッテイングの対象と相手方の態度等の諸般の事情を総合考慮したうえで許される限界を決すべきものである」と判示し。要するに、争議の経過、状況、ピケッテイングの対象など具体的事情の如何によつては実力行使も許されるという解釈をとつている。しかしながら、争議行為の本質は労働者が労働契約上負担している労働力供給義務の拒否にとどまり、争議行為として許されるのは、団結によつて労働力の供給を拒否できるにすぎず、この限界を超えて使用者が自ら行なおうとする業務の遂行行為に対し、暴行脅迫をもつてこれを妨害し、あるいは使用者の自由意思を抑圧したり、その財産に対する支配を阻止するような行為は、労使間の自由対等な交渉関係を破るものとして許されないのであり、ピケッテイングもまたその相手方がその自由な判断選択によつてストライキに協力するよう監視または条理をつくして説得する限度にとどまるべきものであつて、この限界を超えて人の自由意思を抑圧し、業務を妨害するような行為は許されないと解すべきである。しかも原判決は会社の利益代表者である管理職員が組合員に代替して業務を行つたことをとらえ、スキャップに近いものとし、これに対しては実力行使が許されるとしているが、組合と会社との間にストライキ中の職場代置禁止協定のない本件において、会社側管理職員の業務遂行を右理由により制限しようとするのは、会社側の財産権、自由権を不当に制限しようとする解釈であつて自由権、財産権などの基本的人権と労働者の権利との調和をはかつている憲法の趣旨に反する。以上の点において原判決は労働組合法一条二項刑法三五条の解釈を誤り、引用の諸判例の趣旨に違反した違法がありこの誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない、というのである。

よつて検討するに、原判決はまず原判示第六の(一)において、被告人らの本件行為を管理職員による放送に抗議し、その中止の説得を目的とするものであると認定したうえ、同(二)においてピケッテイングの正当性の限界について、「暴力の行使をともなう場合、さらには使用者が自らまたは他に労働力を求めて業務を継続しようとし、これに応じて就労を希望する者に対し実力を用いて一方的且つ完全にこれを阻止すること等は、ピケットの手段方法として許されるものではない」として、「使用者側や説得の相手方がかたくなに組合の要求に応じない場合、またはピケ破りのために暴力が用いられるような場合等にも穏和な説得にとどまるべきものとすれば、組合は説得の機会すら失い、ストライキの失敗を坐視するほかなく、かくては憲法の保障も有名無実に帰することが明らかである。したがつて、右のような場合には、少くとも説得の場を確保するために暴力の行使に至らない限りある程度の実力的行動に出ることは必要やむを得ない処置として容認されるものといわねばならず、これを要するに、説得という以上それは平和的穏和的なものに限られ、いかなる場合にも一切の有形力の行使が許されないというような観念的固定的な解釈によるべきでなく、すべからく争議の経過、状況及びピケットの対象と相手方の態度等諸般の事情を総合考慮したうえで説得行為の許される限界を決すべきものである。」としたうえ、本件においては、「管理職員が本来の管理的職務を行なつたものではなく、組合員の行なう業務を代替して行なつたものであるから、本件における管理職員の性格はストライキ中に臨時に雇傭されるスキャップに近く、組合員の団結権、争議権を侵害する効果を持つことは否定できないのであり、このような場合、組合員らが同じ職場の労働者としての連帯感に訴えて翻意を求め、説得の為に放送の終局的阻止または暴力の行使に至らない程度の実力的行動をとることが許される。」と判示していることは所論のとおりである。しかしながら原判決の右説示自体によつても明らかなごとく、原判決はピケッテイングの正当性に関する一般論として暴力の行使や、使用者側の操業を一方的且つ完全に阻止することはできないが、ただ説得の場を確保するために就業の阻止に至らない一時的且つ暴力の行使に当らない程度の実力的行動の許される場合のあることを認め、争議の経過、被説得者の立場、態度等諸般の事情を総合して実力的行動の許される場合、程度、限界を決定しようとするもので、原判決の右見解は、もとより正当であつて、所論指摘の諸判例に牴触しているものとは解せられない。すなわち最高裁判所の確定した判例によれば、「同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するが如き行為は勿論、不法に使用者側の自由意思を抑圧し或はその財産に対する支配を阻止するような行為をすることは許されないものといわなければならず、されば労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため執られた労働者側の威力行使の手段の事情からみて正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には、刑法上の威力業務妨害罪の成立を妨げるものではない」(最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決最高裁判所刑事裁判例集一二巻八号一六九四頁)として使用者側が自ら為さんとする業務遂行々為に対する暴行脅迫による妨害行為、不法に使用者の自由意思を抑圧する行為、不法にその財産に対する支配を阻止する行為は正当な争議行為の範囲を逸脱するものとして許されず、使用者側の業務を阻害するためにとられた労働者側の威力行使の手段が右正当な範囲を逸脱するものであるか否かは個々の事案ごとに具体的に諸般の事情を考慮して認定すべき旨宣明しその後の最高裁判所の裁判例はいずれもこの立場を踏襲しているのである。(最高裁判所昭和三三年六月二〇日第二小法廷判決、同判例集一二巻一〇号二二五〇頁、同裁判所同年一二月二五日第一小法廷の二つの判決、同判例集一二巻一六号三五五五頁、三六二七頁、同裁判所昭和四五年六月二三日第三小法廷決定同判例集二四巻六号三一一頁等参照)したがつて原判決の右前段の見解は最高裁判所の判例の趣旨に牴触するものとは考えられない。しかしながら原判決は、右一般解釈論を本件に適用するにあたり、右後段の如く本件の管理職員の就労を臨時に雇われたスキャップに近いものと認定したうえ、これらの者が遂行しようとする会社の業務遂行々為に対する被告人らの本件行為を正当な争議行為と判断したのは誤であることは後記のとおりであるけれども、この事実誤認及び法令の解釈適用の誤は判決に影響を及ぼすものではなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第三、本件行為を正当な争議行為とする事実誤認及び法令解釈の誤りについて。

論旨は、ピケッテイングの正当性の限界についての原判決の解釈を是認しうるとしても、被告人らの本件行為は右正当性の要件を充足していないにもかかわらず、原判決は次の諸点において事実を誤認し、その結果右要件を充足し労働組合法一条二項、刑法三五条により正当な争議行為として違法性を阻却するとし、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というので、以下順次検討を加える。

一、本件争議行為の目的に関する事実誤認について。(控訴趣意書第三の一)

所論は、原判決は「被告人らの本件行為は争議行為の派生的な一環として行なわれたものであり、その直接の目的としたところは、管理職員が劣悪な条件のもとで放送業務を強行することによつて、組合の行なうストライキの実効を失うに至るのを阻止するため、管理職員による本件番組の放送に抗議し、これの中止を説得することにあつた」として、争議行為の目的として正当であると判断した。しかしながら、本件行為の態様そのものが明らかに説得の範囲を逸脱した実力行使そのものであるほか、そもそも組合がストライキに入るにあたり、Dスタジオにいた本件放送要員たる組合員は管理職員に対し円満に放送業務をひき継ぎこそすれ、管理職員による放送の中止を説得していないし、組合役員その他組合側は本件の放送本部やC副調整室の管理職員に対し何ら適切な説得行為を行なつておらず、D副調整室における組合員らの行為は説得を超えた実力行使であること等の事実にてらすと、被告人らの当面の直接的目的は実力によつて本件放送業務を妨害し、放送を阻止することにあり、これによつて終局的にストライキの実効を確保しようとしたのであつて、管理職員に対する説得というのは単なる口実にすぎないのであり、原判決には事実誤認がある、というのである。

原判決が「被告人らの本件行為は争議行為の派生的な一環として行なわれたもので、その直接の目的としたところは、管理職員が劣悪な条件のもとで放送業務を強行することによつて組合の行なうストライキが実効を失うに至るのを阻止するために管理職員による本件番組の放送に抗議し、これが中止を説得することにあつたと認めるのが正当である」、と判示していることは所論のとおりである。そこで、右判断の当否について検討するに、原判決挙示の証拠によると、原判決が第二争議の経過及び第三「ママの育児日誌」放送に対する抗議行動(被告人らの行為)、として判示しているところの事実を認めることができるのであつて、右は要するに、被告人らの属する毎日放送労働組合が賃上げ、諸手当の改善等、労働組合員の労働条件の改善を要求してストライキに入り、「ママの育児日記」放送担当の労働組合員が職場を離脱したため、会社側管理職員がこれに代替して右放送を行なおうとしたが、多数の組合員がD副調整室に入り込み同室の機械を占拠して使用不能となつたので、管理職員はやむなく隣のCスタジオからテレビカメラ一台をDスタジオに持ち込みC副調整室を使つて放送することとし、そのケーブルのためDスタジオ西側出入口扉が密閉しないままの状態で右放送を強行したが、これに対し組合員側において抗議することに決し、その指示を受けた被告人らを含む組合員約四〇名がDスタジオ西側出入口扉前に行つて、労働歌を高唱し、「社長団交に出ろ」「八、〇〇〇円よこせ」等のシュプレヒコールをくり返し、被告人森口が携帯していた電気メガホンを使用して音頭を取り、他の組合員がスピーカーを扉の隙間に押しあて、約六分二〇秒間右生放送に騒音を混入せしめたというのである。そして、被告人らの右行為が原判決のいうように、抗議を通じて放送の中止を説得しようとしたものか、そうではなくて、所論のように実力による放送の阻止を目的としたものか、について考えるに、組合側は既に本件当日正午から午後一時までストライキを行なうことを決定していたが、当日の午前中に至り更に本件「ママの育児日記」放送番組要員については、正午から午後一時三〇分までストライキに入ることを決定し、高木執行委員がその旨を午前一一時五五分ころDスタジオ及びD副調整室において右放送のリハーサルを行なつていた右放送要員に伝達し、これらの者がすでに代替業務につくべく右両所に来ていた会社側管理職員に右放送事務を円滑にひきついで、順次職場を離脱し、この間右放送要員や組合側において右管理職員に対し本件放送の中止を説得したことはなく、又当時役員会議室に設けられていた本件放送の放送本部の管理職員に対しても右同説得をしたこともないこと、また正午すぎ頃、被告人小山ほか組合員二名が組合の指令に従つてピケッテイングのためDスタジオ内に入つたが同所には同人らの予期に反してピケッテイング中の組合員はおらず管理職員しかいなかつたので、その場にいても無意味であると考えて、放送準備中の管理職員に対し右同説得をすることなくD副調整室へ移動して行つたこと、午後零時二〇分頃になつて組合員約三〇名がD副調整室へつめかけて占拠し、同所にいた佐伯副部長の求めに応じてDスタジオから中川課長ら管理職員三名がD副調整室に通じる通路を通つて同室内に入ろうとしたところ、内部で出入口をピケッテイング中の右組合員が扉の把手を内から固定して開扉できないようにしたため右管理職員は入室できなかつたこと、またD副調整室内の佐伯副部長、大西課長が映像のテストをするためスイッチヤー台のボタンを押すためスイッチヤー台に接近するや、組合員七、八名がその前に密集して立ちはだかつて、ピケッテイングを張つて右機械に近寄らせず、右両名をしてやむなくボタン操作を断念させたこと、その間、同室内の方からDスタジオに立入ることは全く自由であつたのにかかわらず、組合員がDスタジオに行つて当時すでに本件放送準備をしていた管理職員に対し、放送中止の説得を全然行なつてないこと、さらに、本件放送開始直前ころから映像の調整はC副調整室において行なわれ、吉田悦造次長が同室から放送の指揮をとつていたのに、組合側としてはC副調整室のこれらの管理職員に対しても放送中止の説得を全く行なつていないこと、被告人らの本件行為そのものを客観的にみると「社長団交に出ろ」「八、〇〇〇円よこせ」等のシュプレヒコール、労働歌の高唱に終始して放送中止の説得らしい行為は認められないこと、はいずれも所論のとおりである。しかしながらさらに子細に検討すると、被告人らはDスタジオの西側出入口扉の外側において、電気マイクを使用したとはいえ、シュプレヒコール、労働歌の高唱、拍手などをしたに過ぎず、右扉はカメラケーブルがはさまつていた関係上密閉せず、これを押し開けようとすれば容易に開けられたのにその様な行為やDスタジオ内に乱入して放送を妨害しようとしたことも全くなく、太田副部長が被告人らの群の中を通つて室内に入るのを妨害しておらず、写真撮影のため内部から扉が開かれた際にも室内に立入ろうとせず、その他原判決がいうように電源を切るというような、より確実な放送阻止の行為にも出ず、約六分間余の後には組合員の自発的意思により本件行為を中止してその場から立去つており、管理者側も被告人らの本件行為によつて放送業務を妨害される結果になつたとはいえ、放送を最後まで遂行できたこと等の事実も認めることができる。これらの諸点を総合すれば、当初D副調整室を占拠してその施設を使用不能とした点から見れば、組合側は管理職員による本件放送を実力行使によつて阻止しようとしたものとの疑が強いけれども、被告人らの本件行為のみを取上げて考えれば、むしろ、生放送に騒音が混入することを認容しながら、Dスタジオ内の管理職員に対し代替就労による放送遂行に対する抗議をなし、放送の続行を断念させることを目的とする示威行為であつたとみるのが相当である。原判決が説得行為であると表現しているのはその措辞やや適切ではないけれども、結局そのいわんとするところは右趣旨であるものと解せられる。そして組合員がストライキを行なつた際管理職員の代替就労により放送業務を行なうことは従来行なわれていたことであり、本件においても当初本件放送要員が職場を離脱する際管理職員に事務引継をし、又居合わせた組合執行委員もこれに対し何等の申出をしていないことから見れば、この時期においては組合側は未だ管理職員による本件放送を実力で阻止する意図はなかつたものと考えざるを得ず、従てD副調整室の占拠はその後に決定されたものと認めざるを得ないが、その様な決定がいつどこで行なわれたか、或はこれに被告人らが関与したか否か等の点は、本件起訴の範囲外でもあり、証拠上もこれを確認する資料はない。そうすると被告人らの本件行為はそれだけのものとして考えざるを得ないし、その範囲では組合員の労働条件の改善を要求してなしたストライキが管理職員の代替就労によつて実効を失うのを防止するため、当該管理職員に対し、放送の続行を断念させることを目的とするものであつて、争議行為の目的として正当なものであるということができる。原判決には所論のような事実誤認はない。

二、本件番組の放送に従事した管理職員をスキャップに近いとした事実誤認について。(控訴趣意書第三の二の1)

所論は、原判決は、「会社は組合のストライキ対策の一環として昭和三八年三月に管理職員を大幅に増加し、右管理職員をストライキに際しての代替要員にあててきており、本件においては、管理職員が本来の管理的職務を行なつたものではなく、組合員の行なう業務を代替して行なつたものであるから、ストライキ中に臨時に雇傭されるスキャップに近い」と判示しているが、会社が管理職員を増員してきたのは会社の事業規模拡大の結果であつて組合の団結権、争議権を侵害する意図は全くなく、争議に際してこれら管理職員は会社の利益代表として行動しているのであり、臨時に他から雇傭されるスキヤップとは異なるのであつて、原判決は事実を誤認している、というのである。

よつて検討するに、原判決が、本件放送を担当した管理職員について「会社は組合対策の一環として昭和三八年三月ころ大幅に課長職をふやし、これら管理職員によつて放送業務を遂行することとし、抜き打ち的にストライキが行なわれた場合においても放送業務が停止しないように対策を講ずる機関として局長次長などで構成される本部を設置し、管理職員を組合員たる放送スタッフの代替要員に指定していた」とし、「本件では管理職員が本来の管理的職務を行なつたのではなく、組合員の行なう業務を代替して行つたものであるから、本件における管理職員の性格はストライキ中に臨時に雇傭されるスキャップに近く、組合員の団結権、争議権を侵害する効果をもつことは否定できない」と説示していることは所論のとおりである。そして、本件記録及び当審における事実取調べの結果によると、株式会社毎日放送は昭和二五年一二月二七日新日本放送として設立され、昭和三三年六月一日毎日放送と社名を変更し現在に至つているが、その間における従業員総数及び課長職以上の管理職員数は概ね次のとおり増減していることが認められる。

従業員総数 (人) 課長以上の管理職数 (人)

昭和三三年七月一日 三九八 七七

昭和三四年四月   六三七 七九

昭和三六年八月   六九二 一一三

昭和三七年三月   七〇二 一四四

昭和三八年三月   七六〇 一五五

昭和四〇年五月   六七六 一五八

そして、右のように右会社の管理職員数は昭和三六年八月には三四名、昭和三七年三月には三一名昭和三八年三月にはさらに一一名と大幅に増え続け、本件当時は総従業員数に占める割合は約23.3パーセントに達するに至つたが、その増加の原因は、会社側の説明によると、昭和三六年に千里丘スタジオが完成して施設の点でほぼ現在の形となり、これにともなつて組織、管理機構が拡充されて右三四名の管理職員を増加し、昭和三七年三月には主としてプロデューサーを増加し、昭和三八年三月にはチーフ・テクニカル・デイレクター、チーフ・アナウンサー等を中心として社歴の長い者の優遇、放送内容の複雑化による放送実施中の管理機構の充実の必要等から、直属の部下を持たず、待遇も直属の部下をもつ課長より劣る課長を大幅に増加したというのであるけれども、昭和三六年に千里丘スタジオ完成に伴い従業員数が大幅に増加しているので、その際の管理職増員は右説明のとおりと認め得るが、その後従業員数はさしたる増員がないのに管理職員だけが大幅に増加し続け、殊に本件後の昭和四五年三月一日現在、直属の部下をもつて管理職業務を行なう本来の課長が二三名であるに対し、右直属の部下をもたない課長は三七名を算え、また係長職を新設して、九五名をこれに充てて管理機構の末端に加えた結果、管理機構は課長以上一九七名、係長九五名合計二九二名というぼう大なものになつていること、昭和三六年の課長職の増加に際し、課長の組合員資格について会社と組合との間に紛争を生じ課長全員が組合から脱退し、爾来、争議に際しては会社側において課長以上の管理職をもつて代置する勤務割表を作成してストライキの都度右管理職のみをもつて放送を行なつて組合に対抗して来たこと、また右係長は組合員資格を有するものではあるけれども、二名を残して全員が組合から脱退してしまつて組合が弱体化していること等の事実に徴すると、累次の右管理職員の著増は、会社の事業規模の拡大に伴う管理機構の拡充、強化の必要等にせまられた点もあつたとはいえ、会社側の組合対策の一環としての意味をも有し、ストライキの都度、ストライキの効果を著しく減殺する効果をもつていることを否定することはできない。この点に関する原判決の説示は正当である。しかしながら、本件放送を担当した管理職員一一名は制作局に属し、うち渡辺洪は第一製作班副部長、瀬木宏康は第二制作班副部長、その他の者はいずれも技術製作部に所属し、放送の現場部門の管理者であり、本件放送にあつては、その本来の管理的職務を担当したのではないから、その性格を論じるとすれば、従業員中の非組合員の職場代置と同様な性格を帯びるものと考えられるのであつて、職場代置禁止協定のない点も考慮に容れれば、もともと企業とは無関係な第三者がスト中に臨時に雇われてスト破りを行なう場合とは性格を異にするのは勿論であつて、原判決がこの点その性格はストライキ中に臨時に雇傭されるスキャップに近いと判断しているのは誤りであつて、この点に関する所論は正当である。

三、Dスタジオ西側出入口の扉の開閉に関する事実誤認について。(控訴趣意書第三の二の2)

所論は、原判決は「Dスタジオ西側出入口の開閉について、管理職員が組合員の行動を写真撮影するため、スタジオ内部の管理職員によつて約二分間開かれた」旨認定しているけれども、右開扉がスタジオ内の管理職員によつてなされたものか、あるいは扉の外に集つていた組合員の手によつてなされたものであるかは証拠上必ずしも明白ではなく、かりに管理職員によつて開かれたとしても、そのこと自体本件犯罪の成否に影響を及ぼさないのみならず、扉の外に集つていた多数の組合員中に外側から扉を押し開けようと扉の隙間を拡げていた者があつた事実は認めなければならず、その後内部から開扉されたとしてもそれに乗じて一層強度の騒音を放送に混入せしめた被告人らの行為は違法な実力行使であることにかわりはない。しかるに管理職員が開扉したことを前提として本件騒音の混入による放送妨害を管理職員自らが一方的に招いたものの如く認定した原判決は事実を誤認したものである、というのである。

原判決が「太田副部長がDスタジオ西側出入口扉を人一人通れる程度に押し開き、スタジオ内に入り、これを田辺部長が一旦閉めた後間もなく写真撮影のために扉を七、八〇度開き、太田副部長がカメラで組合員の抗議状況を撮影した」として管理職員が内側から扉を開いたと認定していることは所論のとおりである。そこで右認定の当否についてみるに、原審証人平野武の供述によると「同人はD副調整室にいてDスタジオの状況を見おろしていたところ、Dスタジオ西側出入口の扉が人間の通れる程度開いて太田副部長が肩を左右にひねつて半身になつて入つた後田辺部長が内から扉をしめ、太田副部長が何かを指図し自分でカメラを構え、それと同時に田辺部長が扉を一杯にあけ、太田副部長が写真撮影したうえ、開いたままの状態で。写真が写つているかどうかを確認した後、田辺部長が扉を閉めた」というのであり、さらに原審証人高木寛の供述によると「同人は右扉の外でシュプレヒコールをしていたが太田副部長が後から来て、自分ら組合員をかきわけ、人ひとり通れる位扉が開き太田副部長が中に入つた、扉は直ぐ閉つた、暫くすると、また扉が内から七、八〇度開かれ太田副部長が写真撮影をしようとしており、田辺部長がそばにいて扉は一、二分開かれたままでいた、それから内からかなり強い力でしめられた」というのであつて、これらの証拠によると、原判決認定の右事実は優にこれを認めることができるのである。もつともこれに対して原審証人太田孝は、「同人が西出入口の扉のところへ行つた時にはすでに扉は内へ開かれていてそこからDスタジオ内に入り、自分が扉を八〇パーセント位押して閉じた時外の組合員に押し戻されて九〇度に開き、やむなく扉が開いたままの状態で組合員をカメラで撮影し、写真をとり出して芝田副部長に渡した後、四人で力一杯しめた」といい、また原審証人田辺純一は、「同人は扉を反動をつけてしめ直すために、九〇度まで開いたとき太田副部長が転りこむように前かがみの状態で入つて来て、カメラで組合員を撮影した、その間に誰かが開いたドアを閉めてはねかえされた、撮影後田辺ら四人で扉を強くしめた」といい、これらの供述によると、田辺がまず開扉し、太田が入つて同人がしめようとしたが組合員に押し戻されて果さず、写真撮影の後田辺らが扉をしめた、というのであつて、右平野証人、高木証人の供述とは著しく異るのであるが、田辺証人は、本件について警察、検察庁において、当初開扉したのは組合員であると主張し、ようやく昭和四〇年八月一七日付検察官に対する供述調書に至つてはじめて自分が開扉したことを認めるに至つたものであるほか、その証言自体扉の外の組合員の行為によつて身の危険を感じたというような誇張した面が強く開扉後の組合員の状況については茫然自失の状態であつたので詳しいことは記憶にないとして重要な点について証言を避けるが如き態度をとつたりしていて、同人の供述は真実を伝えているものとは到底考えられず、太田証人も、労働委員会において同人はDスタジオ内に入つて扉を閉めたが扉の支柱のところにいた宮本滋郎組合員の肩で妨げられて四五度位しか閉まらなかつた旨、原審においては右のように八割閉まつたが組合員によつて押し返されてまた九〇度開いた旨の彼此異なる供述をし理由を異にしながらも要するに組合員の妨害によつて扉を閉めることができなかつたと主張しようとするもので、信用性が乏しいものと考えられ、その他の証人(原判決に挙示する原審証人中川靖雄、同佃芳郎、同西尾諭)の各供述、被告人小山、同北中の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書は、断片的供述、あるいは記憶違いにもとづく供述と考えられ、前記認定を覆えすに十分ではない。検察官は右扉が管理者側によつて開かれたとしても本件犯罪の成否に関係はないと主張するけれども、管理者側が、証拠保全のためとはいえ、自ら放送中のスタジオの扉を開けたという事実及びその行為がその間の騒音の混入を著しいものにしたという事実は、後記のように本件行為の違法性の判断についての重要な要素の一であることは否定できないのであつて、所論には賛成し難い。なお検察官は被告人ら組合員が扉を外側から押して扉の隙間を拡げていたと主張するのであるが後記のとおりかかる事実は認められない。

四、本件行為の態様に関する事実誤認について。(控訴趣意書第三の二の3)

所論は、原判決は本件行為の態様について、「本件行為は、Dスタジオ西側出入口の扉前で電気メガホンを用いて音頭を取り、労働歌の合唱、シュプレヒコール、拍手を主体とする行動に終始し、せいぜいスピーカーを扉の隙間に押しあてたにとどまり、その間管理職員のDスタジオへの入室を妨害することもなかつたし、抗議行動の時間も比較的短く、さまで執ようなものとも認められず、いまだ防衛的、消極的性格を失つていない」と認定しているけれども、被告人ら四〇名もの組合員が電気メガホンの音頭により音声を張り上げて労働歌を高唱し、また「社長団交に出てこい」などのシュプレヒコールを行ない、スタジオ内に騒音を入れるために右メガホンのスピーカーを扉の隙間に押しあて、内部からカーペットでこれを塞ごうとするや、スピーカーを上下に動かせて隙間隙間に騒音を流しこみ、あるいは右カーペットを抜きとり、さらには扉を押して隙間を広げ、扉が開かれた後も、扉が開かれる前と同じ調子でシュプレヒコールを叫び続け、それが終るや再び労働歌の高唱を行なつており、被告人らのこれら騒音を混入させる行為は、騒音が大きな影響をもつ放送業務においては、恰も暴力を用いて商品の出荷を阻止し、若しくは商品を毀損する類の実力行使と同質の最も攻撃的、積極的な争議手段であつて、原判決はこの点明白に事実を誤認したものである、というのである。

よつて検討するに、原判決挙示の証拠によると、被告人らは当日午後一時ころ、約四〇名の組合員と共にDスタジオ西出入口の扉の外に集り、同スタジオにおいて、雪印乳業提供の「ママの育児日記」の生放送が開始され約一分間のコマーシャル放送が終り、アナウンサーのナレーションが始つたころから、全員で、同出入口の隙間から音声が右放送に混入するのを認容しながら、一斉に「頑張ろう」、という題名の労働歌を高唱し、拍手し、「社長団交に出ろ」「八、〇〇〇円よこせ」等のシュプレヒコールをくり返し、その間被告人森口が電気マイクを持つて音頭をとり、被告人小山ら組合員がスピーカーの部分を持つて扉の隙間に押しあて、管理職員が音声の混入を防ごうとして内側から扉の隙間にカーペットを押し当てると、その隙間を狙つて右スピーカーを上下に移動させ、管理職員がこれを追つてカーペットを上下し、運搬車などを内側から扉におしあてて扉が動かないように押えたが、間もなく組合員らはカーペットを外部へ引き抜き、そのうち前記のとおり太田副部長が右扉を通つて入室し、田辺部長が写真撮影のため扉を内側に大きく開き、太田副部長が扉の外の組合員をポラロイドカメラで撮しとり、原板を引き抜いて確認した後内側から扉を閉め、この間約二分間は扉が開放されたままで経過したが、その後間もなく組合員らは右高唱、拍手、シュプレヒコールを中止してその場から立ち去り、結局約六分二〇秒の間騒音を右放送に混入させたことが認められる。検察官は組合員の側において扉を押し開こうとしたとか、押して隙間を拡げようとしたと主張し、なるほど原審検証(昭和四四年一二月一日付)の結果によると、扉をテレビカメラのケーブルをはさんで閉じた場合、把手の部分において約二センチメートルの隙間を生じるにとどまるのに、本件当時には五ないし一〇センチメートルの隙間が生じていたことが認められ、その隙間から組合員がカーペットを引き抜いたことを考えると、扉の外にいた被告人らを含む四〇名位の組合員によつて多少隙間が拡大されたことは否定し難いが、組合側が扉を押しあけようとすれば、容易に開けることができたのにその様な行為に出ていないことから考えると、多人数が狭い廊下に密集した関係上、後ろの方の組合員がやや押し気味であつたようなことや、スピーカーを扉の隙間に押し当てるといつたようなことから多少扉に力が加わつて隙間が拡がつたものと認めるのが相当であり、故意に扉を押し拡げたものとは認められない。検察官の右主張は採用することはできない。

以上の事実によつてみると、被告人らの本件行為は就労中の管理職員に対する抗議行為ではあるけれども、同時に右のように放送中の生番組に故意に騒音を混入しているのであつて、この面からみると、使用者の意思を抑圧してなされた実力行使であるといわざるを得ない。そして、かような実力行使が許されるか否かは争議の経過、その対象者の立場、態度等諸般の事情を考慮して決すべきであることは前記第二で説示したとおりであるが、これを本件についてみると、被告人らが本件行為によつて就労を断念させようとしたのは、前記第三の二で説示したとおり、本件放送業務については非組合員たる従業員にも比せられる管理職員であつて、本件においては会社側と労働組合との間にストライキ中の職場代置禁止協定はないから、会社としては組合のストライキに対抗してこれら管理職員を使用して放送業務を適法に行なうことができるのであり、しかも前記の本件経過から見れば、これら管理職員はすでに完全に会社側の傘下に入り、会社側の指示に従つて就労する意思を明確にし、平穏に就労していたのであるから、前記のような管理職員増員の事情や、管理職員の代替就労によつて組合のストライキの効果が減殺されていることを参酌しても、これら管理職員に対する抗議行動であるとはいえ生放送に騒音を混入させて会社の業務執行を妨害するが如き実力行使は行き過ぎであり、その態様において正当な争議行為ということはできない。殊に放送業務(本件は生放送であるから特に)は騒音の混入を嫌うものであり、又一旦業務を開始した後は一時休止の許されない業務であり、放送局に勤務しその様な事情を十分知つている被告人らの行為としては、説得というよりはむしろ実力による妨害行動と評価せざるを得ない。この点に関する所論は正当であり、被告人らの本件行為をその態様においても争議行為として許される旨の判断をした原判決は、誤であるといわなければならない。

五、会社側の被害の程度についての事実誤認及び法益の比較権衡の判断遺脱について。(控訴趣意書第三の二の5)

所論は、原判決は「右騒音の程度は、扉が開閉された前後の約二分間はアナウンサー、出演者の声が聞きとりにくいが、それ以外はやや耳障りであるがアナウンサーらの音声は明瞭に聴取できる。扉の開閉が管理職員によつて行なわれたこと、管理職員がカメラケーブルのため扉に隙間を残したまま放送を強行したことなど、会社側の非常識で軽率な措置を考慮すると本件行動による影響は軽微で会社側の蒙つた損害はさほど大きくない、」と認定しているけれども、放送にとつて騒音の混入は致命的であつて、右騒音がテレビ出演者に与えた影響、騒音防止のため会社側管理職員が執つた措置、本件放送関係者の抱いた感想、本件番組提供会社に対し五〇万円を補償したこと、本件による会社の社会的信用の失墜等を考えると会社の蒙つた損害は極めて大きく、損害は軽微であるとした原判決には事実誤認があり、また争議行為の正当な判断の規準として、組合の守ろうとした利益と会社側の蒙つた損害との比較権衡を検討しなければならないのに原判決はこれについて何ら触れることがなく、この点において法令の解釈適用を誤つており、被告人らの守ろうとした利益よりも会社側の右損失の方が大であるから法益権衡の面からみても被告人らの本件行為を正当な争議行為ということはできない、というのである。

よつて検討するに、原判決が被告人らの本件行為により会社の蒙つた損害は軽微であると判断していることは所論のとおりである。そして、本件記録及び証拠物によると、本件放送はコマーシャルの終るころから約六分二〇秒間前記被告人らの行為による騒音が混入し、そのうち約二分間は特に著しく、アナウンサーの声も聞きとりにくい程であり、その前後は耳ざわりではあるけれどもアナウンサーや対談者の声も聴取できる程度のものであること、また放送終了のころに至つて再び数分間組合員によるシュプレヒコールの騒音が混入していること、右騒音混入の間、会社側が右騒音を消す為とはいえ、余り適切とは思われない音楽をバックミュージックとしていれたため、これも加え一層放送を聞きとりにくいものとしていること、右騒音がアナウンサーをはじめ出演者に心理的影響を与え、アナウンサーの声がうわづつたり、出演者の表情を固くするなど、放送に悪影響があつたことは否定できないこと、本件放送は当初人形劇をいれることを予定していたが放送要員の職場離脱によつて人形劇を中止せざるを得なくなつたこと、本件放送は元来Dスタジオの三台のテレビ・カメラを用いてなすべきところをD副調整室における組合員のピケッテイングにより隣のCスタジオから搬入した一台のテレビカメラのみを使用し、出演者を追つて移動させながら撮影せざるを得なかつたため、放送用のセット以外のスタジオ内部がそのまま写り、画面が非常に見苦しいものとなり、且つ一台のテレビカメラで写したために画面に変化がなく、平板な、恰もテレビ放送開始初期のものの如き極めて未熟な画面になつたこと、ビデオリサーチレポートによると、本件放送は平時4.0パーセントの視聴率であつたものが放送開始五分位後に0.7ないし1.0パーセントに低下したとしていること、以上の事情から会社は本件番組提供者たる雪印乳業株式会社に対し、新番組の契約金を五〇万円下げることによつて、本件放送の瑕疵の補償をしたこと、が認められる。以上の事実によつてみると、本件放送は人形劇を含めて正常な放送が行なわれるものとして雪印乳業株式会社と契約されたところが人形劇が削除され、セット以外のスタジオ内部が露出し、一台のテレビカメラによる平板で貧弱な映像となり、且つ騒音が混入したというような諸事情によつて放送の質が低下し、結局五〇万円の補償をせざるを得なくなつたということになる。もつとも右視聴率の低下は、その率の把握の方法の正確性について問題がないとはいえないけれども、視聴率が低下したことは否定し難いところであり、また右五〇万円の補償については雪印乳業株式会社に対し、補償の内容を明示することなく一方的に新番組の契約料金から値下げすることにより賄つたことや、その計算の規準も明確でないところからみると、五〇万円という額の妥当性について疑問が残るとしても、会社が相当な理由なくして損失を補償するものとは考えられず、会社は右放送の質的低下によつて五〇万円前後の損害を蒙つたものと認めて差支えないものと思われ、会社の蒙つた損害は大きいものといわなければならない。しかしながら右損害の中、予定された人形劇を中止したり、カメラを一台しか使用できなかつたりしたことによる損害は予定された放送要員が職場を離脱したり、多数の組合員がD副調整室を占拠し、これを使用し得なくなつたことに基因するものであり、組合としての責任を問われることは格別、被告人らの本件行為に因るものとは云えないし、最後の数分間の騒音の混入も同様であつて、結局被告人らの本件行為によるものはアナウンサーや出演者に与えた前記の心理的影響と右放送開始後の六分余の騒音の混入だけであり、しかも右騒音混入のうち特に騒音の著しい約二分間はその騒音の程度内容からみて管理職員が組合対策のため、一時本件放送を犠牲にしてでも証拠保全をはかるため扉を開き、開放したままにしておいたことが大いに加功しているのであつて、その前後も会社側のバックミュージックのいれ方の不適切であつたことが影響しており、結局、被告人らの本件行為自体によつて放送に与えた影響、したがつて会社の損失はこれら直接の原因とならない諸点を除けば軽微なものと考えて差支えない。所論はさらに会社は信用失墜という無形の損失を蒙つたと主張し、右のような質の悪い放送が会社の信用を失墜したことは否定し難いが、右に述べたと同じ理由で、そのうち被告人らの本件行為に基因するのは軽微であると考えられる。そうすると、被告人らの本件行為の結果、放送に及ぼした影響及び会社に与えた損害は軽微であると認定した原判決の判断は相当である。

さらに、所論は、法益の比較衡量について主張し、原判決はこの点について触れるところがないとしているけれども、原判決はその第六の(一)において「被告人らの本件行為の直接の目的としたものは管理職員が劣悪な条件のもとで放送業務を強行することによつて組合の行なうストライキが実効を失うに至るのを防止するため管理職員による本件番組の放送に抗議し、これが中止を説得することにあつたと認めるのが相当である」とし、他方同(二)において「被告人らの本件行動が放送に与えた影響は軽微なものということができる」としたうえ、その他の諸事情を参酌して、同第七において、結局「被告人等の行為はその目的、態様その他諸般の事情にてらして正当な争議行為と認められる」と説示しているところからみると、原判決は被告人らが本件行為によつて守ろうとした利益は、団結権ないしストライキの実効確保であり、これに対する会社の蒙つた騒音混入による損害は軽微であつて法益の権衡を失つていないものと判断しているものと解せられ、所論のような判断遺脱があるものとは認められない。そして所論は被告人らの守ろうとした利益は、当日の組合の争議行為全体からみると、比重が小さいものであつたというのであるが、前日組合が決定したのは、毎日マラソン中継車前にピケッテイングをして中継車がテストのために出発するのを阻止することと、正午から一時間の全面ストライキであり、右決定にしたがつて予定どおり、午前一〇時から中継車前にピケッテイングをすると共に、当日に至り右決定の一部を変更して全体としては正午から一時まで、本件放送については、正午から一時三〇分までのストライキを行なつたのであつて、右午後一時から一時三〇分までは会社は本件放送以外にはテレビ放送をしておらず、本件放送のストライキの成否は会社業務からみても組合側からみても、中継車の発進阻止と並んで重大な利害を有していたものというべきであり、被告人らの本件行為によつて守ろうとした利益がこれによつて会社が蒙つた前記損害に比し(会社の蒙つた全損害約五〇万円は当日の組合側の行為全体と比較さるべきものであり、被告人らの行為と比較さるべき損害はその中の一部に過ぎないことは前説明のとおりである。)特に法益権衡を失しているものとは考えられない。所論は理由がない。

当裁判所の見解

原判決の説示中、第二争議の経過、第三「ママの育児日記」放送に対する抗議行動、第四Dスタジオ西側出入口扉の開閉について、第五被告人らの行為の構成要件該当性、の各項記載の点は、前示説明と矛盾する点を除き、いずれも相当と解すべきであり、これと前示説明とを総合すれば、被告人らの本件行為は刑法二三四条の威力業務妨害罪の構成要件に該当するものといわねばならない。そして構成要件に該当する以上、被告人らの行為の実質的な違法性及び責任性は一応推定せられるところであるけれども、さらにその程度につき検討する。

まず本件行為の態様は前記のとおり争議行為として許される範囲を逸脱したものと解すべきであるが、その実質は、閉鎖された扉の外側で、カメラケーブルによつて作られた隙間を利用して、約六分間にわたり、被告人らを含む約四〇人の組合員が、電気マイクを用いてシュプレヒコール、労働歌の合唱、拍手等を行ない、出演者やアナウンサーに心理的な悪影響を与え且その騒音を放送に混入させて同放送の商品価値を低下せしめたに止まり、それ以上に進んで放送中のスタジオ内に乱入して放送を妨害するとか、電源やカメラケーブルを切断するなどして、放送を全面的に阻止する行動には出ておらず、結局被告人らの本件行為の前後を通じて本件放送は中断されることなく最後まで遂行されたことが認められ、又これにより会社側の被つた損害額は総計五〇万円であるとしても、その中には、本来の放送担当員が組合のストライキ決定により職場を離脱したこと、多数の組合員がD副調整室を占拠したためDスタジオの三台のカメラが使用不能となつたこと、或は放送末期における雑音の混入など、本件起訴外であり、被告人らの責に帰し得るか否かも不明の行為に基因すると認められるものが相当あり、且それが大きな部分を占めると解すべきことは前説明のとおりであり、且つ、被告人らの行為による雑音混入の点も、その一部はスタジオ内部から管理職員により扉が開かれたことにより被害が増大していることは前説明のとおりであるから、結局被告人らの本件行為のみによる損害は比較的軽微なものと認められる。他方被告人らの本件行為の目的は前記のとおり、組合のストライキの実効を確保するため、管理職員が本件放送を代替執行しようとすることに抗議し、放送を断念させようとして行われたもの、即ち組合の争議行為中にその一環として行なわれたものと認むべきであつて、その手段方法において争議行為として許される範囲を逸脱していることは前記のとおりであるが、その目的は正当なものと解すべきであり、又本件行為は組合や被告人らにおいて予め計画されたものではなく、管理職員が隣のCスタジオからカメラ一台をDスタジオに搬入しこれを使用して放送を強行しようとするのを目撃して、突発的に決定し行なわれたものであり、平素放送業務に従事しその犠牲を十分知つている被告人らの行為としては、いささか思慮に欠け且思い上つた行動と認めざるを得ないが、一方前記のとおり、会社側が従来から組合対策として管理職員を増加して組合側のストライキの実効を失わしめて来た経緯を考慮すれば、これら管理職員の代替就労によりストライキの実効が失われようとしているのを眼前にした場合、これに対抗して突発的に行なわれた行為として宥恕すべき事情も認められる。これらの諸点を考慮すれば、被告人らの本件行為の実質的な違法性、責任性は軽微なものと解せざるを得ず、これに因り民事的な責任を問われるのは格別、法律秩序或は社会的常規を著しく逸脱したものとして刑罰を以て臨まねばならぬ程のものとは認められない。原判決はこれとはやや理由を異にするが、被告人らに刑罰を科すべきではないとした結論は結局相当であり、本件控訴は理由なきものといわざるを得ない。

よつて刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(田中勇雄 尾鼻輝次 小河巌)

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